針の話

針は広島の歴史の象徴でもあるのです。

 

広島針の製造の歴史は遠く三百数十年前、藩主浅野家が下級武士の手内職として普及させたことに始まります。もともと、繊維業が盛んな土地だった広島は明治以降、軍の拠点として発展していくこととなりました。またこの時期、機械の導入などにより、第一次世界大戦の頃から飛躍的な成長を遂げていくことになるのです。

 

革屋町(現在の紙屋町)の様子。写真は戦前で繊維業など様々な産業で賑わっていました。

 

昭和初期の元安橋の様子。

 

昭和20年8月6日。世界で初めて投下された原子爆弾により広島市内は甚大な被害を受けました。この時、広島市内の工場で製造されていた針が熱線により溶けてしまったと伝えられています。被爆した針は原爆資料館にも展示されています。

 

水の都

水の都としても全国的に有名な政令指定都市である現在の広島。

 

戦後、焼け野原から復興に向けた努力の基、昭和20年代後半には戦前の生産数まで回復した広島の針。その後、経営の合理化、生産コストの切り下げ、品質の向上を図るなどの努力によって、海外市場にも大きく“広島針”の名を知らしめるようになりました。

 

ミシン針、畳針、医療用針、特殊針など様々な分野の針を製造しています。

 

 

現在、生産量は縫針100%、待針97%でそれぞれ1位、家庭用ミシン針49%で第2位、その他かぎ針、押しピン、虫ピン等すべての針の分野にも進出しております。また全生産量の73%は海外輸出用であり、広島針の品質の良さは世界的に認められております。今後もこれにおごることなくさらに研究を重ね、品質の向上、合理化を目指すと同時に、針生産に伴う固有の特殊技術を他分野においても活用していき、大きな未来へ向けて歩んでいきたいと考えています。

 

針の技術を活かし制作されたアクセサリー。素材には医療用針に使用される医療用ステンレスを使用。

 

また最近では針製造で培った技術を活かし、アクセサリーや雑貨の製造なども行っています。良質な素材に繊細な技術をクリエイティブな創作の分野で表現することで、技術力のさらなる発展に努めています。

現在、広島における産業は、自動車、精密機器、食品、観光、芸術など様々な分野において技術革新が行われています。私たちも「メイド・イン・ヒロシマ」をコンセプトに広い視野を持って製作に勤しみたいと考えています。

 

針で培ったアクセサリーはこちら

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